国立研究開発法人 量子科学技術研究開発機構
高崎量子応用研究所 量子バイオ基盤研究部
主任研究員 三好 悠太
農業は、私たちが生きていくうえで欠かせない食べ物を作り出してくれる貴重な存在だ。
農業というと土を耕し、そこに種を植えて育て収穫するというサイクルを繰り返しているイメージがある。しかし現在では、効率良くかつ安定した量と品質の作物を栽培するための新しい農業技術の開発が進められている。
農業はどのように変化するのだろうか。数ある研究の中でも特に注目したいのが、三好が取り組んでいる、植物の生理機能を活用した新しい農業技術の開発である。
もともと生物が好きで、大学卒業後は生物の教師になる予定だった。しかし、指導教官から「君は研究者に向いている」と言われて、そのまま博士課程に進学。農業土木の研究室で農業施設の開発に取り組む中、農業の効率化と植物が持つ生理機能とがつながった。
「美味しい作物の収穫量を考えた時に、栄養の流れを知ることが必要だと思ったんです」
と、三好は当時を振り返る。博士課程2年目の時に、RI(ラジオ・アイソトープ)を用いたイメージング技術で植物体内の栄養素の輸送現象を目の当たりにした感動は今でも忘れられないという。
植物の生理機能が解明されることによって、農業はどのように変化を遂げるのだろうか。現在取り組んでいる研究内容も含めて三好にお話を伺った。
植物が持つ“生存戦略”とは何か
植物は適所に栄養を送り、葉を茂らせたり果実を実らせたりする。ただし、植物は単にそうしているのではなく、タイミングを見計らって栄養の送り先を切り替えているというのだ。三好はそれを“植物の生存戦略”と呼んでいる。
「植物は、人間のように循環器を持っていません。にもかかわらず、葉を生やすなどの生育のステージや、生きている環境に合わせて栄養の送り先を自在に変えている。この循環器のような働きを指して、植物の生存戦略と呼んでいます」
植物の生存戦略については、ほとんど解明できておらず謎が多い。しかし、植物の行動を観察していると、育っている環境に適応しながら自らの機能を変化させている可能性が見えてくるという。
「干ばつという環境でも、土壌の深いところには水が存在しています。そのような土壌環境だとそうすると、干ばつに強い陸稲などの植物はその水を吸おうとして、地中深くに伸びている根っこだけに栄養を送るんですよ。そして雨が降って土壌に水が戻ってくると、今度は浅く横方向に広がるようにして伸びている根に栄養を送り出すんです。このことから、環境に合わせて選択的にどこに栄養を送るかという切り替えを、植物自身が行っているのではと推測できます」
RIイメージング技術によって可視化される植物の神秘
植物の輸送現象を調べるために用いられているのが、RIだ。RIを日本語にすると、「放射性同位元素」である。放射線には、特定の物質に“目印”をつける特徴がある。RIイメージング技術は、この特徴を活用し目に見えない植物体内の栄養の動きを可視化するのだ。
植物は、二酸化炭素を吸って砂糖などの栄養素を生産する。植物の体内にRIを注入すると、注入されたRIは、この砂糖に“目印”をつける。やがて植物の中から放射線が放出されるが、それを検出器で検出し、放射線の流れや飛んできた場所をモニタリングする。そうすると、植物の中で起こっている栄養の輸送現象を確認できるというわけだ。
上の図は、RIイメージング技術を使って捉えた、いちごの内部である。青く光っているのが、栄養の輸送経路。栄養が濃くなるについて青から緑、緑から黄色へと変化する。三好は、この画像とともに植物体内の栄養輸送動態に関する研究を発表し、複数の賞に輝いた。さらにこの画像は、第2回「科学の美」インスタグラム写真コンテストで最優秀賞を受賞した。
“宇宙農業”も夢ではない? 変わる農業のスタイル
植物の生存戦略が解明されて、なぜそのタイミングでその場所に栄養素を送るのかが明らかになった時、農業は植物主導から人間主導になる可能性が高まるという。人間主導の農業とは一体どういうものなのだろうか。
「現在の農業で品質の善し悪しを決めるのは、植物です。例えば、甘いいちごを作る時に人間側がやることはというと、いちごが砂糖を作りやすいように葉っぱにたくさん光を当てることです。けれども、どんなにたくさん砂糖を生産したとしても、作られた砂糖が全て果実に行くとは限りません。どこに運ばれるかは分からない。つまり、出来上がったいちごが甘いかどうかは、植物任せということです。
もし、植物が作った砂糖をどこに運ぶのかというのを人間側でコントロールできれば、それを全て果実に運んでもらって、常に甘いイチゴを作ります。または、甘みを抑えたいちごが好きな人に合わせて酸っぱめのいちごを作ることも可能です。これを人間主導の農業と私は考えています」
もう一つ植物の生存戦略を解明することで実現できるといわれているのが、宇宙農業である。三好によれば、宇宙農業が将来実現する可能性は高いという。すでにアメリカや中国では植物工場(植物を栽培するための巨大な施設)の開発が進められていて、その技術を宇宙においても応用できるまでに近づいているということだ。ただし、宇宙で農業をするには少ないリソースで植物食物を栽培しなければならない。
もしも植物の生理機能をコントロールすることができたなら、栽培に必要な栄養素を極端に抑えた植物に作らせるという「水や肥料に頼らない農業」も、夢物語ではなくなるだろう。
「宇宙農業のポイントは、作物を育てるための水や肥料といった資源をいかに節約するかだと思います。そこで活用できるのが、人間主導の農業です。植物が作った栄養素を成長に必要な場所に送る。効率良く運ぶ仕組みを人為的に整えることで、宇宙という地球とは全く異なる環境でも農業は可能になると考えています」
夢の実現に向けて 植物の生理機能の解明に続く挑戦
植物はどのようにして戦略的に栄養の輸送を決めているのか。それを解明することが、研究における課題であると三好は言う。「正直なことを言うと、まだ分からない状態」と前置きしたうえで、植物に備わっているある“器官”に注目していると話す。
「植物には、栄養を運ぶ血管のような働きをする器官と、この栄養を通したりためたりするのをコントロールしている、ゲートのような器官があるんです。これらの器官が植物の体の中でどのように繋がり、発生し、働いているのか分かっていないことが多く、生存戦略においてキーパーソンになっているのではないかと見ています」
果物をかじった時、ついその構造を目で確認してしまうという三好。オフの日は体を使って子供とめいっぱい遊んだり、好きなジャズやピアノを演奏したりする一面を持つ。お話を伺っていて、好奇心が旺盛で好きなことにはとことん取り組むの人柄が伝わってきた。
「植物が持つ、『環境の変化に応じて栄養の輸送先を素早く選択的に切り替える』という高度な生存戦略を初めて目の当たりにしたとき、非常に大きな衝撃と感動を覚えました。今はこの生存戦略を生み出すメカニズムがどうなっているのか、調べれば調べるほど新たな疑問が出てくる状態ですが、これらのメカニズムを解き明かしたいという強い好奇心を持ちながら、これからも研究を続けていきたいと思います」
取材、構成、文:佐藤 世莉
撮影:宍戸 ヤスオ