国立研究開発法人 量子科学技術研究開発機構
高崎量子応用研究所 量子機能創製研究センター
量子材料理論プロジェクト
主任研究員 大門 俊介
計算は、私たちにとってとても身近でなくてはならない存在だ。買い物をしてお釣りを受け取る時や、出発地点から目的地までにかかる時間や交通費を把握したい時など、私たちは毎日何かしら計算をしているのではないだろうか。
計算手法は多岐にわたり、かつ進歩している。特に量子技術が注目されてからは、それが顕著だ。
大門は、人工知能(AI)を用いて量子現象を解析し、量子コンピュータの研究に取り組んでいる。
大学時代に量子現象の面白さに目覚めて以来、量子研究一筋という日々。研究者になりたての頃、大掛かりな引っ越しのため実験装置が使えないという不便さを味わった。しかしその経験が、クラウド環境で実験ができる量子コンピュータやAIの研究につながったという。
「量子そのものがもう好きなんです。一番の魅力は、実験していて全く予想できないことが起こることですね。そこに驚きと感動があって。本当に面白いなあと思います。」と、語った時の笑顔が印象的だ。
量子コンピュータは未だ発展途上ではあるが、完成された暁には世の中が180度変わるような、大きな波が来る可能性があるという。その未来は近いのだろうか。大門にお話を伺った。
量子コンピュータとは何か
手に持っているボールを下に向かって落とした時、私たちは手から床に向かってボールが落ちていく様子を目にする。こうした現象の解釈は、ニュートンがりんごの落下を見て発見した法則で事足りると考えるだろう。
しかし、ミクロの世界ではそうした常識は全く通じない。上から下に移動するボールは、波がざわざわと伝わるように動いているという。この波が量子である。そして、量子コンピュータは、このミクロの世界で起きている現象を利用して物事を計算する。
「従来のコンピュータは、そのボールがある状態とない状態の2つの状態(1と0)をベースに計算します。けれども、量子の世界では、それがボールではなくて波になるので、計算方法は1と0よりも多くなります。例えば、2つの波が両方から寄せてくると、重ね合った波ができますよね。量子では、このように2つの異なる状態が同時に存在しているような状態が当たり前のように作り出されるんです。そうするとボールの有無だけではなくて、『ある状態とない状態を重ね合わせた状態』を作って計算できるようになるんです。」
複雑な計算ができる量子コンピュータは、従来のコンピュータが苦手とする計算を高速に実行することができる。この特徴を利用して開発されたのが、量子ルート検索機能だ。素早く計算できるルート検索は、手短に用事を済ませたり、災害時においては素早く避難したりする時に重宝する。
「災害が起きた時には、一刻も早く安全な場所に避難する必要があります。けれども、大勢の人が同時に好き勝手に動くと、渋滞などの問題が発生し結果的に避難が遅れるリスクが高まります。量子コンピュータを使って最適なルートを瞬時に計算することによって、適切なルートを使って避難するという行為を迅速にできるようになるでしょう。」
AIの利用で加速する量子現象の解析
大門は現在量子コンピュータの開発の一環として、AIを用いた量子現象の解析を進めている。AIとはご存知の通り人工知能のことだが、ChatGPTをイメージすると分かりやすいだろう。
「私の場合、数値計算した量子データをたくさん用意しそれをAIに学習させています。そうすると、AIが勝手に量子とはこういうものだっていうのを理解していくんですね。それを積み重ねていくと、例えば『水分子はどういう構造になりますか?』みたいな質問に対して、『多分こうなります』といった答えを返してくれるようになります。」
ChatGPTは、ネットに落ちている文章を拾いそれらを学習させることで人間に近い受け答えができるように成長していく。しかし、言っている内容の信憑性については議論の余地がある。量子コンピュータの研究では、そうした精度に問題はないのだろうか。
「データが十分にあれば、精度をどんどん上げられる。」と大門は説明する。
「人間は、大量のデータを暗記することが苦手です。その一方で、いくつかのサンプルを見て、『大体こんな感じになってるよね』と考えるのが得意です。AIはその逆で、大量のデータがあった時に、その大量のデータから特徴を学習するのが得意なんですよ。つまり、人間と相補的な関係になっていて、人間が苦手な大量のデータを解析する作業を、AIにやってもらっているという感じです。」
人間とAIの共同作業によって、新たな視点から量子現象を解析できるようになる。これまで大門は金属の電気抵抗を測定するだけで金属内部の構造を可視化できる技術を、量子効果とAIを応用することにより開発した。
量子コンピュータの課題と課題克服の先に見えるもの
量子コンピュータの機械の開発は国内外で進められているが、すでに公開されているものに、GoogleやIBMの量子コンピュータがある。それならば、各方面で実用化されているのではと考えるかもしれないが、実は完璧な計算ができる量子コンピュータは、現時点ではこの世に存在しない。一般公開されている量子コンピュータは、必ず計算ミスをするため、正確な答えを得るのが難しい。いかに計算ミスを減らすかが、量子コンピュータ研究の課題であり、大門が取り組んでいる研究のテーマでもあるのだ。
「量子コンピュータに普通に計算させようとすると、エラーのせいで欲しい計算結果が返ってこないことが多々起こります。いかにエラーを避けて、正しい計算結果だけが返ってくるようにすればいいのか。そのために量子コンピュータを適切に制御する方法を探しています。うまくいく可能性のある制御データをAIに覚えさせて、適切な制御方法を返してくれるというものを作っています。」
今後量子コンピュータの制御に成功し計算ミスが少なくなれば、実用化に向けて大きく前進するのではないだろうか。そこは研究者の腕の見せ所である。
「AIはデバイス制御との相性が良く、量子現象を学習したAIは、量子デバイスの制御に応用できます。デバイス制御の応用例として、センサーや自動運転があるのですが、これはAIに我々の身の回りの現象、すなわち古典的な現象を学習させた結果なんですね。同様にAIを用いて量子現象を学習させれば、量子デバイスによるセンサーや自動制御技術の発展につながります。古典的な現象の限界を超えて、より精度の高いセンサーや量子コンピュータの自動制御の実現につながると考えています。」
量子コンピュータの完成は新しい世界の始まり?
それでは、完璧な量子コンピュータが開発された暁には、どのような未来が待っているのだろうか。
「完璧な量子コンピュータが開発された場合に起こりうるといわれているのは、銀行が使っている暗号のシステムが、簡単に解けてしまうことです。何もしないと銀行預金が勝手に引き落とされてしまいますので、量子コンピュータを使った量子暗号なるものが登場すると予想されます。あとは、創薬や触媒の開発ですね。例えばAとBの物質を合成させてCという物質を作りたい時に、触媒と呼ばれるものを加えることによって高速にAとBがくっついてCを作ることが可能になります。そうすると、工業製品などを超高速に生産できるようになるので、生産性が上がった分企業は利益を増やせるでしょう。」
良くも悪くも世界が変わる可能性はあるが、完璧な量子コンピュータが存在する具体的な世界像は、現在のところ予想不可能である。なぜなら、これまで人類が到達したことはなく、未だ解明されていない量子現象が数多くあるからというのが理由だ。これらの問題を量子コンピュータが解明してくれる未来がやってくるかもしれない。
最近は、空いた時間を利用して経済学の勉強を始めたという大門。経済学の中で量子力学でも見かけるような数式が出てくるとうれしくなるという。研究の一方で、毎日子供と同じ時間に起きて保育園に送り、お風呂に入れたり寝かしつけたりするなどイクメンの一面もある。
最後に、量子コンピュータの世界について将来の展望を伺った。
「量子コンピュータが完成したらおそらく世界が大きく変わると思います。その時に時代に乗り遅れないように、量子コンピュータの雰囲気だけでもいいので知ってもらえると、世界が変わった時に皆さんと一緒に波に乗って盛り上げていけるんじゃないかなと期待しています。」
取材、構成、文:佐藤 世莉
撮影:宍戸 ヤスオ
〇研究者の主な略歴
生年月: 年 月
出身地:秋田県秋田市
【学歴】
2010年3月 秋田県立秋田南高等学校 卒業
2014年3月 東北大学理学部物理学科 卒業
2016年3月 東北大学大学院理学研究科物理学専攻 修士課程 修了
2018年3月 東北大学大学院理学研究科物理学専攻 博士課程 早期修了
【職歴】
2018年4月-2023年3月 東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻 助教
2023年4月- 量子科学技術研究開発機構 高崎量子応用研究所 量子機能創製研究センター 主任研究員
【受賞歴等】
2013年3月 青葉理学振興会奨励賞
2016年 3月 東北大学大学院理学研究科 物理学専攻賞
2016年 4月 日本学術振興会特別研究員(DC1)採択
2018年 3月 東北大学大学院理学研究科 物理学専攻賞
2019年 2月 井上科学振興財団 第35回井上研究奨励賞
2019年 4月 船井情報科学振興財団 第18回船井研究奨励賞